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十牛図(じゅうぎょず)は、禅宗の教えを表現した絵画であり、禅の修行過程を象徴的に描いたものです。十牛図は、修行者の心の旅を象徴的に表現し、禅の教えを理解し、実践するための手引きとして用いられます。 | |||
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2024年6月17日 (月) 11:45時点における版
十牛図
十牛図(じゅうぎょず)は、禅宗の教えを表現した絵画であり、禅の修行過程を象徴的に描いたものです。十牛図は、修行者の心の旅を象徴的に表現し、禅の教えを理解し、実践するための手引きとして用いられます。
構成
十牛図は、一連の絵画で構成されており、次のような段階が描かれています。
- 尋牛 - 仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる。
- 見跡 - 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。
- 見牛 - 行においてその牛を身上に実地に見た境位。
- 得牛 - 牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます。
- 牧牛 - 本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる。
- 騎牛帰家 - 心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない。
- 忘牛存人 - 家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる。
- 人牛倶忘 - 牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる。忘れるということもなくなる世界。
- 返本還源 - 何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る。
- 入鄽垂手 - 悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある。
意義
十牛図は、修行者の心の旅を通じて禅の教えを表現し、修行者が真理や自己の本質を理解し、それを実践するための道筋を示します。修行者は、真理や自己の本質を追求し、それを体験する過程で、自己の成長や変化を経験します。十牛図は、禅の教えを理解し、実践するための指針として、修行者にとって有益な手引きとなります。
関連項目
参考文献
- Sekida, K. (1985). Zen Training: Methods and Philosophy. Shambhala Publications.
- Humphreys, C. (2013). The Wisdom of Zen. CreateSpace Independent Publishing Platform.