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= 世界五分前仮説 =
'''世界五分前仮説'''(せかいごふんまえかせつ、'''Five-minute hypothesis''')とは、「[[世界]]は実は5分前に始まったのかもしれない」という[[仮説]]である。


世界五分前仮説(World as if)は、心理学や哲学における概念の一つであり、ある状況や現象を、それが実際に現れているように振る舞うことで理解しようとする考え方を指す。この仮説によれば、人間は日常生活や社会的インタラクションにおいて、実際の事実だけでなく、推測や仮定に基づいて行動することがある。
[[哲学]]における[[懐疑主義]]的な[[思考実験]]のひとつで、[[バートランド・ラッセル]]によって提唱された。この仮説は確実に否定する事(つまり世界は5分前に出来たのではない、ひいては過去というものが存在すると示す事)が不可能なため、「[[知識]]とはいったい何なのか?」という根源的な問いへと繋がっていく。


== 背景 ==
たとえば5分以上前の記憶がある事は何の反証にもならない。なぜなら偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まったのかもしれないからだ。以下、ラッセルの文章
世界五分前仮説は、哲学者ウィリアム・ジェームズ(William James)によって提唱された思想であり、実際にはわからない未来や他人の心の状態について、あたかもそれが真実であるかのように振る舞うことで理解しようとすることを示している。この仮説は、認知のプロセスや社会的相互作用における一つの枠組みを提供する。


== 主な特徴 ==
{{Quotation|世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した、という仮説に論理的不可能性はまったくない。異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。それゆえ、いま起こりつつあることや未来に起こるであろうことが、世界は五分前に始まったという仮説を反駁することはまったくできない。したがって、過去の知識と呼ばれている出来事は過去とは論理的に独立である。そうした知識は、たとえ過去が存在しなかったとしても、理論的にはいまこうであるのと同じであるような現在の内容へと完全に分析可能なのである|ラッセル "The Analysis of Mind" (1971) pp-159-160: 竹尾 『心の分析』 (1993)}}
世界五分前仮説には以下のような特徴がある。


* **推定と仮定**: 現実の確認が難しい場合、人々は推測や仮定に基づいて他人の心理状態や未来の状況を理解しようとする。
「この木は芽が出てから今年で12年になる、だから[[年輪]]が12本ある」
* **行動の基盤**: この仮説は、個人の行動や社会的インタラクションにおいて、他者との意思疎通や共感を促進する役割を果たす。


== 応用 ==
このような言い方も日常でもよくするが、[[年輪]]が12本あるという事実を「結果」とみなせば、これに対応する「原因」が位置すべき過去が存在するはずだとは主張し得るものの、このような主張もまた完全に証明することはできない(もちろん反証することもできない)。これは世界5分前仮説の場合と同様の理由による。それは[[因果律]]である。因果律というのは論理的な必然性から導かれたものではなく、日頃の[[経験]]から無意識的にそれを前提として思考しているという類の[[仮定]]であり、因果律自体を[[論理的必然]]から導くことは出来ない。これはつまり「違う時刻に起きた二つの現象の間にはある種の関係がなければならない」ということを'''論理的な必然性だけからは'''導けないという事である。そのため、今起きている事やこれから起きることをどれだけ調べても、それによって過去の出来事を完全に証明または反証する、ということは(厳密に考えると)不可能である。
世界五分前仮説の理解は、コミュニケーション、教育、医療、または日常生活において、他者との相互理解や効果的な意思疎通を図るための一助となる。特に、他人の視点や経験を尊重し、共感する能力を養う上で重要である。


以上のような哲学の分野における[[懐疑主義]]的な創世議論は、[[神学]]の分野で[[フィリップ・ヘンリー・ゴス]]が提唱した[[オムファロス]]仮説(世界の年齢に関する自然科学と聖書の矛盾を解決するため、そのような古い状態で初めから創造されたのだ、という創造論の議論。オムファロスは[[へそ]]のことで、[[アダムとエバ|アダムとイブ]]が親から産まれたのでないにもかかわらずはじめからへそを持った形で作られたというところから。)から強い影響を受けている。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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* [[コミュニケーション]]
* [[コミュニケーション]]
* [[社会的認識]]
* [[社会的認識]]
* https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BA%94%E5%88%86%E5%89%8D%E4%BB%AE%E8%AA%AC

2024年6月18日 (火) 08:42時点における最新版

世界五分前仮説(せかいごふんまえかせつ、Five-minute hypothesis)とは、「世界は実は5分前に始まったのかもしれない」という仮説である。

哲学における懐疑主義的な思考実験のひとつで、バートランド・ラッセルによって提唱された。この仮説は確実に否定する事(つまり世界は5分前に出来たのではない、ひいては過去というものが存在すると示す事)が不可能なため、「知識とはいったい何なのか?」という根源的な問いへと繋がっていく。

たとえば5分以上前の記憶がある事は何の反証にもならない。なぜなら偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まったのかもしれないからだ。以下、ラッセルの文章

テンプレート:Quotation

「この木は芽が出てから今年で12年になる、だから年輪が12本ある」

このような言い方も日常でもよくするが、年輪が12本あるという事実を「結果」とみなせば、これに対応する「原因」が位置すべき過去が存在するはずだとは主張し得るものの、このような主張もまた完全に証明することはできない(もちろん反証することもできない)。これは世界5分前仮説の場合と同様の理由による。それは因果律である。因果律というのは論理的な必然性から導かれたものではなく、日頃の経験から無意識的にそれを前提として思考しているという類の仮定であり、因果律自体を論理的必然から導くことは出来ない。これはつまり「違う時刻に起きた二つの現象の間にはある種の関係がなければならない」ということを論理的な必然性だけからは導けないという事である。そのため、今起きている事やこれから起きることをどれだけ調べても、それによって過去の出来事を完全に証明または反証する、ということは(厳密に考えると)不可能である。

以上のような哲学の分野における懐疑主義的な創世議論は、神学の分野でフィリップ・ヘンリー・ゴスが提唱したオムファロス仮説(世界の年齢に関する自然科学と聖書の矛盾を解決するため、そのような古い状態で初めから創造されたのだ、という創造論の議論。オムファロスはへそのことで、アダムとイブが親から産まれたのでないにもかかわらずはじめからへそを持った形で作られたというところから。)から強い影響を受けている。

関連項目